試し読み版です。
作業中につき、細部が変わる可能性があります。ご了承ください。
「神に愛でられし少年は運命に流さるる」
第一話 加護を得る
「六助(ろくすけ)、あんた手伝いもせずに、何やってんだい」
母親の厳しい声が背中に飛んできて、六助はおずおずと振り返った。
六助は、家の裏で「あるもの」に手を伸ばして、話しかけていたのだ。だが、母にそれは見えない。だから、どう説明したものかと迷い、六助は口をつぐむ。
「まさか、またかい。誰にも見えないものと、話していたっていうのかい」
母親は目をつり上げて、ずんずんと六助に近づき、半端に上げられた腕を引いた。
粗末な着物の袖からのぞく腕は、雪のように白い。六助は、こんなひなびた農村にあって、きれいな肌をしていた。肌だけではない。その顔(かんばせ)も秀麗に整って、もう十になるというのに女の子と間違えられるほどだった。
「本当に、役に立たない子だね! 兄弟たちは、みんな田畑の仕事をしたり、他の家に手伝いに行ったりしてるのにさ! 力もないから力仕事はできないわ、奇行ばかりのあんたに頼まれる仕事はないわ!」
母は、それまでの不満を全てぶちまけるかのように、六助を責め立てた。
時折、彼女はこうやって爆発する。出来の悪い六助は、彼女から見れば目障りで仕方がないのだろう。
「せめて、その顔を活かして陰間茶屋に売り飛ばしてやりたいよ! でも、それもあんたの奇行のせいでできないし!」
「…………」
売る、とまで言われても六助はじっとしていた。口答えすれば、ぶたれるだけだと知っていたから。
罵倒して少しスッキリしたのか、母は手を放して「せめて洗い物しときな」と告げて、行ってしまった。
ホッとして、六助は振り返る。
もう、先ほどまで話していた「光の玉」はいなかった。
それまでも、六助には妖怪や幽霊など、普通の人には見えないものが見えた。
だが、あの「光の玉」は他の何かとはどうも勝手が違うようだ。ひと月ほど前から見はじめたあの玉は、六助を招くのだ。
『おいで。お前は、私に仕えるのだ』
まるで決定した事項のように、語りかける。
行けばいいような、気もした。六助はこの家では、邪魔者でしかない。それでも、やはり六助にも畏(おそ)れはあった。
悪いものなのか、良いものなのか、わからない。だが、あれはおそらく神だろう。仕えよ、と言うぐらいだ。
なぜか六助を気に入って、分身を飛ばしているのだろう。
「六助」
名前を呼んでびくついたが、こちらに歩み寄ってくるのが長兄の一太(いちた)であることを認めて、ホッと力を抜く。
六人兄弟姉妹のなかで、一番優しいのは一太だった。左足を怪我してから、酒に溺れてろくに働かなくなった父に代わって、家を取り仕切っているのは、一太だ。
更に、村の子供に六助がいじめられていると、一太は必ず止めにきてくれる。
「兄ちゃん」
「こんなところで、何してるんだ。母さんの、怒鳴り声が聞こえたけど」
「うん……」
六助が言葉を詰まらせると、一太は「仕方ないな」といった風情で苦笑した。一太も、六助の奇行には慣れている。
「また、陰間茶屋に売るって言ってたな。母さん……」
会話の最後のあたりが、聞こえていたらしい。六助は、羞恥に頬を染めた。
「そんなこと、俺がさせないから。気にするなよ。変な誘いがあったら、逃げるんだぞ。お金くれるって言っても、だぞ」
一太は屈んで、六助の目をのぞき込んだ。
彼の澄んだ黒い目に、六助の頼りなげな姿が映る。
本当に自分と兄は似ていない、と六助は思う。そもそも、六助は誰に似たのだろう。母は北国育ちらしく色白だが、六助ほどは白くないし、六助のように髪も目も茶色い子供は、この家系では初めて生まれたという。
六助は骨も細くて、がっしりした一太の体躯に憧れずにはいられない。
「六助? わかったか?」
確認されて、六助はうなずく。
六助は、この容貌を気に入った旅人に声をかけられることがあった。陰間茶屋に行けば稼げるぞ、という誘い。一夜を共にすればたんまり金を払おう、という申し出。そのたびに、父母はどうしようかという素振りを見せた。
両親に代わって、毅然として断ったのは、一太だ。
一太がいなければ、自分はどうなっていたのだろう。たまに、そう思ってしまう。
「六助は、成長したらきっと男前になるぞ。そしたら、金持ちの娘が気に入って婿にと望むだろう。逆玉の輿って言うそうだぞ」
一太は笑って、六助の背を叩く。
六助も笑ってみせたが、それは本心からの笑顔では有り得なかった。だが、一太は善意から言っている。
長男以外は、家を継げない。どこかの家に婿入りするか、大きな町に出て仕事を探すしかない。しかし、町に出ても六助のような力がなくて、学もない男は職にはありつけないだろう。だから、六助には婿入りしか選択肢がないのだ。
次兄の三郎(さぶろう)は、町に出るつもりのようだ。力もあるし、頭の回転も速いから商家の奉公の話を進めてもらっているらしい。
あとのきょうだいはみんな女で、まあまあの器量を持っているから嫁入り先には困らないだろう。
(本当に、婿入りが決まるのかな)
もし、決まらなければ。一太は六助を追い出したりはしないだろうが、ますます肩身が狭くなることは、間違いない。
そんなことになる前に、あの「誘い」に乗ったほうがいいのだろうか。
その後、薪拾いに行ってこいと母に命じられて、六助は村のあぜ道を歩いていた。
立ち話をしている男たちの横を通り過ぎたとき、会話が聞くともなしに耳に入ってきた。
「今年の稲も、イマイチだな」
「仕方ない。天候が悪かった」
「そうは言っても、去年もその前もそうだったじゃねえか」
六助には気づかず、彼らは暗い顔をして話しこんでいた。
そういえば、この村は六助が物心ついたときから凶作に見舞われている。
そのまま歩きつづけ、六助は見覚えのない青年が向こうからやってきたので、首を傾げた。
派手な身なりだった。上は白い着物で、赤い袴。まるで、神社の巫女のようだが、どう見ても男だった。
少し地味だが、整った顔立ち。高いところでくくられた黒髪。きりりとした顔つきとは裏腹に、女のまとう衣がよく似合っていた。
「……君」
彼はとろけるような笑みを浮かべて、六助に呼びかける。
「――――はい」
六助は慌てて立ち止まり、姿勢を正す。
「ああ、そんなに固くならなくていいから。ここの、村長の家はどこだろう? 私は、彼に呼ばれてね」
「村長? それなら……」
口頭で教えるより連れて行ったほうがいいだろう。薪拾いは……村長のお使いがあったと言えば、さすがに母も怒らないだろう。それに、帰りに拾っていけばいい話だ。
「案内します。ついてきてください」
「わかった。ありがとう」
六助は彼を先導し、歩きはじめる。
「君は、好かれるだろう」
背中にそんな言葉を投げられて、六助は不思議になって振り返る。
六助を好いてくれるのは、一太ぐらいだ。それと、下卑た笑みを浮かべる男たちだけ。それは、彼の示す『好かれる』とは違うだろう。
六助の戸惑いを察したのか、彼は微笑んで言い直した。
「言いかたが悪かったか。好かれる、というより惹きつけるだろう。ひとではないものを」
「…………どうして、わかるんですか」
六助が思わず足を止めてしまうと、彼は目をすがめた。
「見抜くのが、私の職務だからだよ」
村長の家に着いた後、「君も同席してほしい」と青年に請われて、六助は迷った挙げ句にうなずいた。
好奇心に負けたのだ。なぜ、彼が呼ばれたのか。彼の職務とは何か。知りたくてたまらなかった。
「お待ちしておりました。…………あら」
村長の家に仕える女中は、六助を見て露骨に嫌そうな顔をした。六助の評判は良くない。やれ、男をたぶらかす妖しい少年だといううわさが村中に広がっているせいだ。
「彼も一緒に」
と青年が主張したので、女中は六助をちらちら見ながらも奥の間に通してくれた。
そこには、村長と奥方が待っていた。見事に禿げ上がった頭を持つ村長は、今年六十に差しかかる齢だが、隣に座る奥方はその半分の年齢で、妖艶な色香を発していた。
まだ女に興味のない六助にも、その大げさにくつろげられた胸元からのぞく白い乳房は、目に毒だった。
「おお、よく来てくださった。狭霧(さぎり)様。しかし、なぜ六助を連れてきたのです?」
「彼がここまで、案内してくれたのですよ。それに、彼には並々ならぬ力を感じましてね」
狭霧と呼ばれた青年の言葉に、村長は信じられないといった様子で六助を見据えた。
信じられないのは、六助も同じだ。
(力って、何?)
不安げに視線をさまよわせると、先に座った狭霧も「君も座りなさい」と促してくれた。おずおずと彼の隣に座ると、安心させるように軽く六助の背中を叩く。ただそれだけの動作だったのに、清水を飲んだときのように、浄められた心地がして六助はたいそう驚いた。
「さて、人づてに伺ってはおりますが……相談について、今一度あなたの口から話してください」
狭霧が促すと、村長は六助を気にしながらも話しはじめた。
数年、凶作が続いていること。その原因は、神を封じたせいではないかとうわさが流れていると。
「この村の神は、どうして封じられたのです?」
狭霧は、女中がひっそりと置いていった温かい茶をすすり、質問を放つ。招かれざる客だった六助の前には、茶は置かれなかった。狭霧は三口ほど飲んだ後、六助に湯飲みを渡してくれた。戸惑いながらも、温かい茶の誘惑に勝てず、六助は茶をすする。
「神社の……神主の家系が、不幸な事故で絶えましてな。その後も、村人たちで食べ物を捧げたりと、祀っていたのです。しかし、大雨で……ひどい有様でした。降り止まない雨で、農作物は根腐れして。村から逃げ出す者も、後を絶ちませんでした。そんな折、旅の僧侶がこの村を訪れて、祟り神の仕業だと教えてくれたのです。もう封じるしか道がないだろうと言われ、僧侶は神を封じました。そのおかげで、雨が止んだのです。しかし、凶作が続いて……」
村長が話し終えると、狭霧は腕を組んでうなずいた。
「なるほど。その僧侶も、間違っていたわけではありません。長雨は間違いなく、祟り神の仕業でしょうから。しかし、神は封じると、その恩恵もなくなるのですよ。この村の土地は、元々そんなに豊かではないのでしょう。神の力のおかげで、実りに恵まれていた。神を封じたなら、そうなってもおかしくありませんよ」
「ですが、封印を解いたら、またあの長雨でしょう。あれはもう御免ですよ」
「ええ。だから、きちんと祀ればいいのです。長く仕えていた神主の家系が絶えてしまって、村人はやりかたを間違えたのでしょう。おそらく、そのときは神と会話できる者がいなかったのではないでしょうか」
そこで狭霧は、ちらりと六助を見た。
「彼には、神やあやかしと話す力があると見抜きました。……六助、だったね。君、誰かに語りかけられたりしているだろう?」
「……あ、はい。ひと月前から、不思議な光に」
六助は、おずおずと狭霧に語った。
「やはりね。君に、大きな力の残滓が見えたんだ」
「あ、あの狭霧様。それで、我らはどうすれば?」
焦れたように、村長が身を乗り出す。
「簡単です。封じられた神は、最近力を取り戻したのでしょう。分身を放って、自分に仕えられる素質を持つ者を捜したようです。そして見いだされたのが、この六助です。神の封印を解きますので、彼に神を祀る役目を与えてください」
狭霧が六助の肩を叩くと、村長はぽかんと口を開けた。
「はあ……」
村長に負けず劣らず驚いた六助は、もう少しで湯飲みを落としてしまうところだった。
「驚いたかい? この村を救うと思って君が仕えるしか、道はない。でないと、凶作がずっと続くことになるからね」
狭霧は六助を気遣う様子を見せたが、六助はむしろホッとしていた。
「驚きはしましたけど……僕、やります」
ずっと家には居場所がなかった。これからの未来も、不安でたまらなかった。だから、こんな役目を受けたことが実のところ、嬉しくてたまらなかったのだ。
村長は六助と狭霧を伴って、六助の家に行き、六助が神に仕える力があることを六助の家族に告げた。そうなれば、六助は社務所で寝泊まりすることになるだろうと。
顔をしかめたのは一太だけで、他の家族は平然としていた。母はむしろ嬉しそうで、父は酒の残る頭ではよく理解できなかったらしく、適当にうなずいているだけだった。
「……狭霧様、と仰いましたか。六助は、大丈夫なのでしょうか」
一太は眉をひそめて、狭霧を見据えた。
「荒ぶる神を鎮めるお役目ですから、全く危険がないとは言えません。ですが、神は六助を気に入っておられる。彼に何かあるとは、そうそう思えません」
狭霧に説明されても一太はまだ、納得がいっていないようだったので、六助は口を開いた。
「兄ちゃん。僕、大丈夫だから行かせて。この力が役に立つって聞いて、嬉しいんだ。神様が目覚めて、上手く鎮められたら、村が富む。いいことづくしじゃないか」
「……それでも。なんだか、お前が生け贄のような気がして、嫌だ」
「生け贄じゃないよ、兄ちゃん。ねえ、狭霧様」
「ええ。生きて仕える役目ですから」
狭霧の微笑に嘘はないと見て取ったのか、一太はようやく首を縦に振ったのだった。
その後は、村長と一太、そして六助と狭霧の四人で、さびれた神社へと向かった。一太はついていくと強固に主張したため、ここにいる。
「……それでは、神を解放します。三人とも、下がって」
狭霧が手に持っていた扇で風を起こすと、神社中に張り付いていた札に切れ目が入った。
「はっ!」
呼気と共に、札が破れ散る。
そうして、空気が変わった。手がびりびりして、六助は辺りを見渡す。
「神が顕現します。ここには、六助と私だけのほうがいい。村長、一太を連れて行ってください」
狭霧の指示で、村長は渋る一太を連れて走り去ってしまった。
彼らが去るのを待っていたかのように、目の前に真っ白な青年が姿を現した。
髪も肌も白く、目だけが赤い。その顔は、ぞっとするほど美しかった。人間が持ち得ない、人外の美しさだった。
狭霧は大地に膝をついて、平伏する。六助も、それにならった。
「白蛇の神と、お見受けします。我が名は狭霧」
『……そなたが、私を解放してくれたのか』
「はっ。この村の者は、凶作に悩んでおりました。そして、それはあなた様を封印したせいだと推理しました」
『ハッ。我が声を聞く者がおらず、癇癪を起こしたらあれだ。愚かな村人どもめ』
神の声には、憎しみが含まれていた。
「神様。無知蒙昧な村人をお許しください。そして、今の世にあっては神の声を聞く者は珍しいのです。しかし、幸運なことに……あなたはこの六助を見いだしたのですね」
『ああ、そうだ。最近、封印が揺らいだおかげで分身を飛ばせたのでな。これほど、清い気に満ちた子供も珍しい。私の声も、解した』
神は、ふっと笑って六助を見た。思わず顔を上げた六助は、その艶やかな笑みに魅せられる。
「本人も、あなたに仕えたい意志があるそうです。いかがでしょうか」
『……ふん。それなら、私に異存はない。だが、この住処をなんとかするのが先だ。私にもこの子にも、不快だ』
「村長にその旨、伝えましょう。今夜ばかりは、我慢してください」
『――承知した』
神がうなずくと同時に、狭霧は立ち上がり、六助にも手を貸して立ち上がらせた。
「そろそろ、日が暮れる。また明日来ますから。六助、神に誠心誠意仕えるのですよ」
「……はい」
うなずき、六助は狭霧の背を見送った。
振り返り、改めて神に向き直る。
「あ、あの」
『そう緊張することはない。我が名は、真白(ましろ)。さあ、来なさい。長年掃除もされていないが、お前ひとりが寝る場所ぐらいは、あるだろうよ』
神に招かれて、六助はうなずいて彼の後を追った。
たしかに、家屋は荒れ果てていた。しかし、屋根は無事で雨風は余裕でしのげる。
六助は、誰かの寝室であったのであろう部屋で、かび臭い布団を敷いて寝転がった。
隣には、真白が佇んでいる。
「神様は、寝ないのですか」
『嫌になるほど、寝ていたからね。何、少し起きておくさ。六助、村長が置いていった貢ぎ物がたくさんある。何か腹に入れてから、寝なさい』
促されて、六助は真白が広げた風呂敷の中から、握り飯が入れられた笹の葉を取った。
開いて、ごくりと喉を鳴らす。
白飯など、いつぶりだろう。
塩気の効いた握り飯は、六助には信じられないほどのご馳走だった。三つあったそれをがつがつと、一気に食べてしまった。
「神様は、食べないのですか」
『ああ。私は本来、人の気を吸って生きる神だ』
「まさか、それで? 神主一家が絶えたから……」
『そういうことだ。飢えていたのだよ、六助。飢えると、お前も腹が立ってくるだろう』
問われて、六助は小さくうなずいた。
蛇神は、人の気を吸ってしか腹を満たせない。しかしそれを知らない村人は貢ぎ物を捧げるだけで、満足していた。本来、誰かが神主一家の代わりにあそこに住まって――食べ物にならねばならなかったのだろう。
『それに、私の言葉が誰にも通じなかった。お前はきっとあのとき、生まれたばかりだっただろう?』
「おそらく……」
『そしたら、あのとおり封じられてしまったというわけさ』
真白は、大仰に肩をすくめてみせた。
「あの、そしたら……僕じゃなくても、この任は務まるのでは?」
六助が教えて、誰か他の人がここに住んでも、蛇神の腹は満たせるだろう。
『それはそうだが……私は気に入った者しか、傍に置きたくない』
きょとんとする六助に向かって、真白は微笑みかけた。
『私は、お前が気に入ったんだ』
彼は六助の、手入れのされていない髪を撫で、首をなぞって、肩に手を置いた。
『私は分身で村を、見て回った。神を引きつける香気に、その美しい面立ち。かみつきたくなるような、白い肌。そんなものを兼ね備えたのは、お前だけだよ。お前が神やあやかしの声を聞くのも、奇跡的だ』
ちろりと、真白の薄紅色の唇から、赤い舌がのぞく。ゾクッとしたが、六助は逃げられなかった。
『私は、美しいものが好きなんだ』
「美しい? 僕が?」
『ふふ。お前もいずれ、自覚するだろうよ』
それ以上言わずに、真白は指で六助の頬を撫でた。
『家の掃除が終わったら、毎日身を清め、私に仕えるように』
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